臼杵市議会議員 大分県人権啓発講師 女性議員の会副代表

市議会議員

臼杵市公立学校のあり方に係る地域説明会で出された質問や意見

今月17日から市内7ヶ所で行ってきた「臼杵市公立学校のあり方に係る地域説明会」。昨夜の下北コミュニティセンターが最終日でした。数ヶ所で出ていた質問や意見を一部、紹介します。

Q  学校同士の交流を事前に行うなど、小さい学校から行った子どもたちが不安定になったり孤立することのないようにしてほしい

A  小-中連携、小-小連携を積極的に行い新たな枠組みがスムーズに組めるようにする

Q すでに統廃合をしている他市の事例を十分研究して課題を予想しで対処してほしい(不登校が増えたりすることのないようにしてほしい)

A[統合したから不登校が増えた]というエビデンスは特にない。先行地域には聞き取りを行っているし参考にする

Q 学校跡地は子どもたちの遊び場や避難所としての機能があるので引き続き管理してほしい

A 地域の意見を聞きながら十分考慮するつもりである

Q (津波の被害などを考慮して)新たな場所(高台)に小中一貫の新たな校舎を、建てたほうがいい。長期的な視野で計画してほしい。

A  将来的な構想としてそのような考えはあるが、予算も莫大なのですぐに対応するのは無理。

Q  子どもには、生まれたところを好きになってほしい。ふるさとへの理解、誇りをどう育てるか(コミュニティスク-ルの意義が薄れるのでは?) 子どもたちと地域とが一体となって行う取り組みを意識して残してほしい。

A  地域創生課や教育委員会が地域と一緒になって考えていきたい

Q   小規模校をあえて残してもいいのではないか。

A   小規模校は海辺小などがある。さまざまな規模感の学校がすでにあると思っている。

Q   PTAなどはどうなるか?

A   あくまで任意団体なので、準備期間中に話し合って納得いく形を模索してほしい。

Q [新たな学校]として平等に統合し、一体感を確立するなら、学校名や校歌なども変えた方がいいのでは?

A  今からの準備期間のなかで検討してもらったらいいとおもう。

Q  通学はどのように?

A  スク-ルバスを運行する予定です。

Q  下ノ江小学校からは、海辺小学校に行きたいという子どももいるのでは?

A  区域外通学、ということで可能。

Q  拙速に決めてしまわず数年かけてじっくり議論した方がいいのでは?

A  子どもの1年は大きいので、なるべく早く学びの環境をある程度の規模で整えたいという声もある。合意形成したい。

Q  校舎を使うとしている学校の耐震はされている?

A  野津小、下北小とも耐震補強済みです。

Q  学校は地域のシンボル。なくなると地域の人口がますます減るのでは?

A  市もそれぞれの地域振興協議会とともに、地域が疲弊することのないよう知恵を出し合い力を尽くしていく。

Q  下北小では敷地が狭いのでは?学校環境をより良くと願うがプレハブ校舎などを想定しているとしたら疑問。

A  プレハブを建てる可能性もあるが、学習環境として適さないような建物では決してない。

Q  地区ごとに説明会を行うのではなく、広い会場で行えば他の地域の意見を聞くこともできるし、市民みんなで考えることができたのでは?

A  子どもたちのためにさまざまな意見があるでしょうから発言しやすいように地区ごとに場を設けた。説明はこれで終わりとは思っていない。

Q  下北小学校の校舎はせまいと思うが?

A  改修も必要になるとは思っている

Q  今現在、適正規模である下北小学校に下ノ江、上北、佐志生を統合するのでなく、小規模の海辺小学校に3校を統合するという案もあるのでは?

A  意見として承ります

Q  下北小学校にスク-ルバスやタクシーで登下校する場合、出入り口が安全ではないので配慮が要る

A  意見として承ります

Q  それぞれの学校にそれぞれの歴史と良さがある。「ふるさとを知る」ための校外教育も充実してほしい。

A  バスなどの予算も確保して行いたいと思っている。

Q  遠方から通うと朝の早起きなど登校の負担が増えるので配慮してほしい。

A  しっかり話し合いながら不安の解消に努める。

Q  子どもたちの意見も反映してほしい。家で親子で話すなどして子どもが[自分ごと]として考えられるようにしてほしい。

A  小学校同士の連携を深め、子どものつながりを大切にしながら気持ちを聞き取り育みたい。

教育委員会からはさいごの方で「今までの説明会でいただいた意見や質問を丁寧に検討して、重ねて説明の場を持ちます。(時期はまだはっきりしないが4月くらい?)」というお話しがありました。

正解はありません。子どもも保護者も地域も考え主張し意見を交わしつづけたところに、より良い形の合意形成案が生まれると信じて、解散となりました。