- 日々のつれづれ
差別と戦争のない社会をめざして 弁護士の徳田靖之さん
きました。
徳田さんのお母さんは、夫が3度の戦争に招集されその後亡くなったとき、悲しみのあまり心を病んでしまいました。
「最愛のひとを何度も戦争にとられ失った…母はどんな気持ちだったのか?」
「モーパッサンの本を愛読していた心優しい父が、他人の命を奪えと命じられ(恐らくその銃で誰かを殺し)、愛する妻と2歳の子どもを残して人生を終えていった…その無念はどれほどだっただろうか?」
そしてそんな両親の子どもとして、[戦争のない社会をつくる]ことは使命だと感じていると話してくれました。
憲法前文と9条は、あれだけ多くの人の命(日本だけで310万人)を奪った戦争を以後、決して起こさない.という誓いを形にしたもの。
国家の責において決してだれの命も奪わない、軍隊を持たない、という非武装中立を誓ったこの憲法を、「机上の空論だ」「理想論にすぎない」という言説を聞くけれど、本当にそうだろうか。
戦争を経験した人たちが、戦争で亡くなった人たちの思いも背負って、「世界から戦争をなくしたい」という理想を掲げたものであり、「わたしたちはそうした世界に住みたいのだ」という宣言でもある。
憲法改正論が聞こえるいま、「日本国憲法に対してわたしたちはどう向き合うのか?」「自分自身はこの憲法をどのようなものであると受け止めているか?」をはっきり自覚して行動するとき。
ウクライナ、ガザ、イスラエル、ベネズエラ…「正義」の危うさを感じている。人の命を奪うことが「正義」の名の下に行われている。
人の命を奪うことを正当化する思想を絶対に止めなければならない。
例えば優生思想は、人間を3つに選別する。
社会の役に立つ命or社会の役に立たない命or存在自体が社会の迷惑になる命。
1996年まで優生保護法のような法律がつづいてきたことに驚き恐ろしさを感じます。
そして徳田さんは「優生思想はまだまだ社会に深く根を下ろしている」と言います。『社会に役に立つ人間になれ』と言われ続けてきた教育もその一つ。それは『優生思想』です。
コロナ禍でウイルスに感染した人をまるで加害者のようにバッシングしたことは記憶に新しい歴史。バッシングする人が正当性の理由にするのは以下の4つ。
・あの人は社会にとって迷惑だ
・自己責任であり自業自得だ
・自分はそちらの側の人間にはならない
・この行動は社会のためであり正義だ
差別をなくしていくために大切なのは「自分もそうなるかもしれない」という当時者性であるということばに深くうなづきました。
徳田さんありがとうございます。