臼杵市議会議員 大分県人権啓発講師 女性議員の会副代表

人権講師

大分県人権啓発講師研修 変容する現代社会の差別

大分県人権啓発講師の研修で、大阪公立大学の阿久澤麻理子さんの講座を受けました。「変容する現代社会の部落差別」をテーマに、『差別する人』はなぜそのような思考に至るのか?「現代における『差別』」とは?というお話しです。

そもそも差別ってなんやろ?阿久澤さんは差別とは「人の属性や特性を理由に区別や排除をし、権利の行使を妨げること」と言います。

※世界人権宣言で示されてる属性・特性は、「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地」など。これらを理由に、人権=(すべての人が生まれながらに持っている権利)の行使をじゃましてはいけません。

https://www.amnesty.or.jp/lp/udhr/#

そうなると…”なんとかファースト”とかの排外主義的な思想はまるっとおかしいな…。

差別は『する側』の問題。だとしたら差別が埋め込まれた社会構造(システム)のなかで暮らしている私たち一人ひとりの問題です。

わたしが興味深く聞いたのは、オーストラリア連邦議会の話。同議会では2016年に規定が改正され、女性議員が議場で授乳することが認められました(それまで議場に子連れで入ることは禁止され、授乳中の議員は代理による投票を行っていた)。乳児のママであるウォーターズ議員は「議会に若い女性を増やしたいのなら、もっと家族に優しい規定にして、新しく父や母になった議員が議会活動と子育てのバランスを取れるようにしなければならない」と訴えて規定の改正に尽力したそうです。

差別を「思いやり」や「気遣い」によってカバーするのではなく、構造を変えることで解消しようとする、こういうアプローチがいろんなコミュニティで必要だし、これがない限りは、声をあげたい人がバッシングされ沈黙させられるいうマイクロアグレッション(現代的レイシズム)は止まないと思いました。

「気にしすぎじゃない?」「センシティブすぎる」などはわたしもよく言われるワードなのですごく思い当たることがあり考えさせられました。

学びをありがとうございました。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35100926.html#